最近少しずつ変化の兆しがあるような気がしています、鈴木しげゆきです。
昨日は思いがけず気になっていたカレー屋さんに寄りました。
新所沢のオオグシ咖哩堂。
土曜日はいつも新所沢の所沢大勝軒へ行くのですが、ちょっと遅めの時間だったので麺切れで早めの終了だったらしく、食べ損ねてしまい・・・。
ただ、電車賃かけて新所沢まで行ってるし、新所沢に来た意味を求めたというか、いつも所沢大勝軒へ行くときの通り道にあって、以前からずっと気になっていたお店へ行ってみようということでカレー屋さんへ寄った感じでありました。
基本的に新所沢へ行く用事はほぼ所沢大勝軒へ行く目的だったりするので、他の飲食店へ寄る機会がない。
今回は大勝軒にありつけなかったのは残念ではあったけれど、良い機会ができた感じがあります。
大勝軒は完全に1週間の生活のルーチンとして組み込まれていて、ある意味儀式というか、やらなければいけないリストの1つみたいになってる感が強いかもしれない。
もちろん、所沢大勝軒が好きで堪らなくて通ってはいるのだけど、自分の中で外せない予定化しているというか、これはマスト!みたいな拘りとして定着していて、ある意味自分の行動を制限することになっているような気もする。
自分の性格と言うか、習性としてルーチン化したものへの執着が強いみたい。
最近のなかなか抜け出せない人生の停滞期を脱するには、1度拘りを捨てないといけないような気がする。
今回、大勝軒を食べ損ねてしまったことで、頭ではわかってはいるけれど、ルーチン化された行動が新しい刺激を得ることを阻害する要因の1つになっていることに改めて気付かされた気がする。
自分は習慣化したものに縛られ過ぎてしまっている。
思考停止気味の脳を少しずつでも刺激していきたいところ。
このまま何も変われなければ、将来は暗い気がするし、思ってるより残りの人生なんてあっと言う間なんだろう。
完全に自分の理想とする生き方をする事は難しいのかもしれないけれど、ただ嘆いているだけではきっと後悔ばかりになってしまう。
少しでも、理想に近付く努力はしないと、何のために生きているのかわからなくなる。
目先の結果は出ないかもしれないけど、腐らず1歩でも進まないと。
このブログも日記と別に立ち上げたのも、その小さな1歩のためだったはずだ。
自分を諦めることは、セルフネグレクトみたいなもんだ。
なりたい自分をしっかり持って生きなければ。
月曜が憂鬱な日曜の夜に、自分へ言い聞かせる。