フツフツとフィルムカメラやりたい熱が高まっています、鈴木しげゆきです。
フィルムカメラは基本的に中古カメラということになるので、始めるのにはあまり費用がかからない代わりに、ランニングコストはボディブローのように効いてきます。
そして、デジタルカメラに比べたら圧倒的に不便です。
感度はフィルムに依存するから途中では変えられないし、現像するまで写真は見れないから失敗したかちゃんと撮れてるかも現像するまでわからない。
そんな中、なぜフィルムカメラに惹かれるか。
見た目のレトロさもあるけど、先程も書いたように「不便」であることが魅力なのかなと。
デジタルカメラも、色々いじってくうちに古くて不便なカメラに魅力を感じるようになってきた最近。
一眼レフは15年前のEOS 5D 初代が今1番のお気に入り。
もっと不便なカメラ!と突き詰めていくと、「フィルムカメラか」となってくるわけです。
ちょっと話がそれるけど、昔の方がワクワクしていた気がする。
単純に自分が歳老いて、好奇心が薄れているのももちろんあるだろうけど。
音楽とかでも、昔に比べたら誰でも発信できる時代になったし、受け手側もメディアが推してるもの以外の選択肢があって、双方に良い時代ではあるものの、おじさんは何か物足りなさを感じてしまっていたり。
若い頃は「オリコンチャートなんて」と思いつつもいつもチェックしていたし、好きなアーティストが出たり、曲が流れるテレビやラジオは割りと細かくチェックしていた。
流行とはいえ、自分の欲しい情報にアクセスするには、今と比べて圧倒的に不便だったと思う。
今は手軽に情報が手に入るし、流行とかじゃなくても膨大な情報の中から好きなものを好きなときに選べるし。
すごく良いことだし、権威・権力から「これが今の流行」と押しつけられたものじゃないわけだしね。
ただ、なんか一体感というか、流行なんてある種の思考停止なんだろうけど、みんなが同じ方向向いてる面白さみたいなのも、今思うとありだったなと思う。
選択肢がないという不便さ(不便さなのか?)だったり、そのメインストリームでさえある程度受け手側が情報を探さないといけないような感じだったんじゃなかろうか。
なので流行じゃない自分好みの情報や、マニアックな情報は、発見できただけでも喜びは大きかったように思います。
不便だったけどワクワク感が強かった気がする。
受け手側が情報を欲していた時代だったからということなんだろうけど、その不便さが楽しかった。
カメラなんかもそうだけど、娯楽とか趣味なんてのは極論すると「無駄」なわけで、だからこそ趣味に没頭するということは無駄なことに労力や時間を費やすことで、不便な方が遠回りしたり無駄が多いと考えると、より趣味的というか。
不便なくらいの方が面白いと感じるのは、より趣味的だからなんじゃなかろうか。
もちろんお手軽・便利も良いし、それはそれで好きなんだけど。
また脱線してまとまらなくなってるけど、乱暴にまとめると、
「一筋縄でいかないくらいのほうが面白い」
ということかな。
ちょっと不便さを楽しむくらいの余裕を持てる生き方ができたらいいなぁ。
カメラなんか不便になればなるほど「写真」を撮ってる感は増しそう。
フィルムカメラで遊ぶぞ~。
相変わらずまとまらない文章ですが、最後まで読んでくれてありがとうございました。
ではまた。
鈴木